一昔前、能力は遺伝子によって大方が決定されているという記事をみたことがある。
上記2記事にまずは目を通してもらいたいのだが、端的に言えば、その人の能力は遺伝子によって決まっている部分があるよ、というもの。
ここで、私が経験してきたことについて話したい。
私は、関東近郊の、公立高校出身である。
県内ではそれなりに名前が知られており、その名前を出すと「頭いいのね〜」と言われる学校だった。
私の親は、高校だけはマトモなところに行きなさいと常々言っていたので、私の中学時代は「品行方正・礼儀正しい・賢い」生徒、という印象を持っている教師も少なからずいたと思う。
そして、塾に通い、いわゆる「自称進学校」に進学することになる。中学校から高校に上がるとき、私は「比較的できる生徒」だと錯覚していた。
しかし、大学受験に向けて勉強をしてみると、あることに気づく。
それは、自分よりも圧倒的な能力差がある人たちが沢山いる、ということだ。
自分が一生懸命に努力しても、彼らに勝てない。
この事実を受け入れざるを得なかったのが、大学受験である。
そもそも、受験は都会の方が圧倒的に有利です。
例えば、東京で有名な塾としては以下のようなものがあります。
・鉄緑会
・平岡塾
・SEG
・グノーブル
これらの塾が、乱立しているため競争は激化。どの塾も、我が塾が一番と言わんばかりの営業をしています。
例えば、鉄緑会は高校生に対してマッキンゼーアンドカンパニーの社員を呼び、講演をする、なんていうイベントを開いてます。
このような環境と、自分が勝負して勝てる訳がありません。
どうやら、社会的成功は生まれた瞬間からDNAで決定されているようです。
しかし、この事実を公表すると多くの日本人は努力しなくなります。
ですから、学校教育では「努力しなさい。努力は報われる」と教える訳です。
私が大学院入試を諦めたのも、モチベーションの問題もありますが、能力的に厳しい気がしたのです。
好きで勉強をしている人たちを見て、彼らには勝てなさそうだと。
しかし、この事実に嘆いていても何も変わりません。
DNAを変えるのは、現在の科学技術では難しいですし、不平不満を垂れ流しても目の前の状況は好転しません。
変えられるのは未来だけです。
自分が勉強に向いていなくても、絶対に得意となる分野があるはず。
そこを探して、努力を続けるしかありません。
今日も僕は、鉛筆を握り、工夫します。
残酷な事実があろうとなかろうと、それは自分の歩みや成長を止める理由としては不足しているからです。